2011年10月18日火曜日

雲南省長江上流域調査の旅 (その4)

 先にも述べた様に、採水を1日に2地点以上やると夜の濾過作業が追いつかない。そこで、調査2日目と3日目は午前中に採水を行い、午後はPanzhihua周辺地域の高位段丘の調査を行った。東大グループ側は、当初、段丘調査を想定していなかったので、どこに行くかはZheng教授にお任せである。Zheng教授は、野生的感で野外調査を行うタイプの人で、細かな計画は立てないし、状況に応じて予定をどんどん変更する。だから、彼と一緒の調査の時は、調査の目的と計画の大筋だけを決めてあとは彼を信じて任せるだけである。また、彼の意図を素早く理解してこちら側の希望を早めに伝え、予定に組み込んでもらう必要もある。今回も、計画の大筋が決まったのが出発の2週間前で、その時には、段丘調査の話はなかった。
 この地域に新第三紀(2502300万年前)の湖成堆積物がある事は、中国ではよく知られているらしく、その成因が紅河と揚子江間での河川争奪と関係する可能性を指摘した論文が最近出たようである。Zheng教授は、どちらかと言うとそれに否定的な意見を持っている様であったが、兎に角、その考えの妥当性をチェックしたいと言う思いがあって、段丘調査が急遽予定に加わったのでは無いかと推測する。
 高位段丘は、現在の河床から200m以上高い所にあり、地層の固結度も高いことから、第三紀の堆積物と思って良いだろう。また、砂勝ちの砂泥互層で特徴付けられる点も、低位段丘をなす第四紀(?)の湖成堆積物とは異なる。その分布も、当初(Zheng教授が)予想したよりはるかに広く、さし渡しで数百km以上に及ぶ。Zheng教授の目の色も徐々に変わり始めた様だった。実際、Panzhihua東方の揚子江支流沿いの露頭では、現在の河床より約100m高い位置に湖堆積物の基底が露出する。そこでは、花崗岩質の基盤の上に赤茶色の土壌が発達し、それを緩い斜交不整合で覆って湖堆積物が重なる。平坦な土壌面が形成された後、湖が出来て水没するまでの間に、若干の傾動があった事を示唆している。一方、近隣の高位段丘面は湖堆積物の上限を表し、両者の高度差は約250mある事から、湖を埋積した堆積物の厚さは250m以上あると推定される。巨大な湖があった可能性が出て来たのである。
この様に大きな湖は、がけ崩れなどによるせき止め湖とは考えにくい。構造運動に伴って出来た湖ではないだろうか?土壌を低角で切って発達する傾斜不整合の存在もその可能性を示唆する。例えば、現在の紅河流域と揚子江流域の間に出来た分水嶺の隆起に伴って、揚子江の上流域に一時的に湖が形成され、やがてその東縁が決壊して、現在の揚子江へとつながったと考えることはできないだろうか。湖堆積物の基底部に見られる傾斜不整合や、堆積物最下部にスランプ堆積物がみられ、それが傾斜不整合と同じく、写真の左側に向かって層を厚くして行く傾向が見られることも、湖の堆積が構造運動と関係していた事を示唆する。以前から言われているように、元々は、紅河へと流れていた揚子江上流域が現在の揚子江上流域に争奪されるまでの転換期に、一時的に湖が形成されたのかもしれないのである。(つづく)
(多田)

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