2015年1月30日金曜日

週刊葛生 第四号 じっくり地層編

 みなさんこんばんは。修士1年のMです。

 今週も学部の卒論や修士論文などで忙しい時期が続いております。一つ上の先輩方や一つ下の後輩は「あと少し」と皆さん頑張っていらっしゃるところです。

 皆さん頑張って!

 修造氏もそろそろオーストラリアから帰ってくるので、少しは暖かくなってくるのでしょうか?


 さて、今回は特に書くことも決めずに編集ページを開いてしまったのですが、少しまじめ風に、調べた地層の話でもしようかと思います。

 私が調査した場所にはチャートという岩石が出ているという話は既に触れました。これは、大昔の深海底に放散虫と呼ばれる動物プランクトンの殻が降り積もってできた地層です。放散虫が降ってくるイメージはこんな感じ。
 しかし、創刊号でも書いたかもしれませんが、私が調べている時代の深海底にはチャートができていなかった時期もあるんですね。では、チャートじゃない部分がどうなっているか?こちらの写真を見てください。
 写真では、黒っぽいツヤのある地層の間に、矢印を書き込んだ茶色い表面の地層があるのがお分かりでしょうか?この地層、上下のチャートと違って、地層の面と平行に近い割れ目が層内にあるのが見えるでしょうか?同じ層の中でも、灰色っぽいところは私が割ったところなので、割れ目が見えやすいかと思いますが・・・

 見えない?う〜ん。まぁ、そりゃあそうですよね。これだけで地層が観察できるなら、調査なんて写真だけ撮れば良い話ですから。

 とにかく、チャートと違う地層があるんです。この地層、灰色っぽい粘土でできていて、放散虫の殻をほとんど含まないんです。顕微鏡で見てみるとよくわかります。

 こちらがチャート。
 無数の丸い物が見えますね。これ、全部放散虫の殻なんです。

 一方、こちらが粘土岩。
 丸い放散虫の殻がちょっと見えますが、だいぶチャートより少ないですね。放散虫の殻以外の部分は、なんだか細かくてよく分かりませんね。これはとてもちっちゃい粘土鉱物の粒子なんです。実は、このような小さな鉱物の粒子はごく普通に陸から海に風で運ばれているんです。黄砂みたいな感じのイメージです。

 その量はわずかですが、他に積もる物がなければ、こういった鉱物粒子だけでできた岩石が深海でできることもあり得ますね。

 じゃあ、この時代には海から蟲たちがいなくなってしまっていたのでしょうか?そうとも限らないんですね。

 今まで「深海でできた地層」と言って来た物、深海に溜まった物全部がそっくりそのまま残されている訳ではないんです。深海に溜まった泥や蟲たちの屍骸などが硬い岩石の地層になって行く間に、いろいろな物質の移動が起こります。そんなこんなで、化石が溶けてなくなってしまうことだってあるんです。
 初めはこんなに立派だった放散虫が、
 嗚呼・・・
 往ってしまわれた・・・・・・・・

 という具合に。

 要するに、本当は放散虫がいたのかもしれないってことですね。じゃあ、結局チャートと粘土岩の違いから何が分かるのかって?それは、また今度のお話にしましょう。


 それでは、ごきげんよう。さようなら。

2015年1月22日木曜日

週刊葛生 第三号 葛生の町編

 みなさんこんばんは。修士1年のMです。

 学位論文などで慌ただしい時期ですが、私は修士1年という身分を生かして先週の続きを書くこととします。予告通り、葛生の町の紹介です。野外調査に行くのは、いろいろな地方に行って、いろいろな町を見るのもまた醍醐味ですよね。

 葛生の町は、足尾山地の南端、逆に言えば関東平野の端っこにあります。
 実際には、ちょっと山に囲まれた感じです。

 創刊号にも書いたように、石灰岩の採鉱が今でも盛んです。町中に石を扱う工場があったりもします。
 小さな町ですが、他にも観光名所があります。例えばこちら。


 そして、これを抜きには葛生は語れません。我らが宿、相模屋。

 それから、葛生は原人の骨が見つかったことでも有名になりました。それが葛生原人です。
 しかし、残念ながら原人の骨はガセだったらしいです。でも、今でも山奥に住む原住民の方は自分が葛生原人から進化したんだと言い張っています。こちら原住民の方。棲家の洞窟が背後に見えます。


 続いて、私が調査中にお世話になったご飯どころでも紹介しましょう。まずはこちら。
  『中央軒』
 何度も行ったラーメン屋です。葛生の町にはいくつかラーメン屋がありますが、全部手打ちです。ここはバスの運転手や宿の人に勧められて行きました。外から見るといかにも崩壊しそうな店だし、注文は奥に言いに行かないといけないところですが、葛生に行ったときはぜひ寄ってみてください。ちなみに、佐野市は佐野ラーメンが有名です。
 これは中央軒ではないですが、佐野ラーメンです。

 『壱番館』
 葛生のレストラン街です。ラーメン・蕎麦屋と海鮮丼屋とビストロなんとかという店があります。夜はあまりやっていませんし、突然休みます。

やざわ
 川魚料理屋です。学生一人で行くには高いですが、夜遅くまでやっているという利点があります。

 厳密には葛生ではないですが、隣町の仙波町まで行くと蕎麦がおいしいです。ただし、数km離れているので、歩いて行くのはしんどいです。

 こちら、恐怖の五合(ごんご)蕎麦。五百円玉と比べて大きさを分かってください。 


 ご飯どころはこんなところにして、バスの話でもしましょう。葛生の町には市営バスがいくつか走ってますが、私は普段は誰も使わないオンデマンドのバスを使って調査に行ってました。それがこちら。
 市営バス、さーのって号仙波会沢線です。露頭まで10 km以上を300円で行ける上に、事実上貸し切りです。しかも、運転手の人が柿をくれたりします。


 こんな感じでいい町なんですが、観光に行くときは一つ注意してください。葛生の標準時は日本時間より3時間進んでいます。ですから、時計を変えないまま行くと大変です。

 これは、日本時間6時半の写真です。
 現地時間ではもう9時半なので、店は全部閉まってます。調査から帰って風呂にゆっくり入っていると、飯が食えなくなる訳です。この時間にはもうやざわと鉱山しかやってません。
 てなわけで、葛生に行くときはくれぐれも時計を合わせるようにしてください。ただ、先述のバスは日本時間で時刻表が書いてあります。

 なんだかいろいろと書き連ねてしまいましたが、この辺で終わりにします。

 それでは、ごきげんよう。さようなら。

2015年1月15日木曜日

週刊葛生 第二号 調査編

 みなさんこんばんは。修士1年のMです。

 今回は、お約束通り葛生地域でやっていた調査の作業についてお話をします。調査している場所は古い石灰鉱山跡にあります。


 こんな感じの鉱山跡です。今はもう車が入れないので、なるべく近くまで車で調査用具を運んでから、少し山を歩いて露頭に着きます。そして、いざ、露頭を見る。

 って、ちょっと待てや。

どこに露頭が有るんよ?ん?
 最初に露頭に着くときにはしばしばこんな感じです。そこで、観察を始める前に、我々は二つのことをしなければいけません。

工事。

そして掃除。

 これらを済ませると、こんな感じで露頭が現れます。これでやっと観察ができます。

 これじゃあ元の写真でどこがどこだか分かりませんが、ほぼ同じ場所です。なんでこんなに暴虐の限りを尽くすかというと、しっかり露出させないと本当にちゃんと積み重なった地層を見ているのか分からんからです。上の写真でも、3カ所断層で地層がズラされています。見つかるかな??
 さて、そういえば前回、この地層がいつできたものか説明してませんでしたね。それをどうやって調べるかって言うと・・・

 「この辺りの石には、コノドントが含まれているんだよ。」
 コノドントというのは、ちっちゃい魚みたいな生き物の歯みたいなものです。「みたいな」ばっかりで解りにくいですが、詳しくはこちらを↓
 要するに、時代ごとにこの「歯」が違う形をした生き物が泳いでいたから、出てくる化石の種類を見分けることができれば、地層の時代がわかるって訳です。

 「どれ、見せてやるかな。」

 これが石を割って出てきたコノドントです。ちなみにキラキラしてるのは黄鉄鉱です。こんな調子で野外調査中に地層の年代が決まってくれれば楽なのですが、なかなかそうはいかんのです。実際はこんな具合で化石を抽出するためのサンプルを採って帰り、実験室で探すことになります。その作業については、また今度。


 この場所にはこれまで4回調査に来ました。
第一回 偵察 2013年9月

学部時代です。

第二回 卒論調査 2013年11月

一週間かけての本調査。

第三回 追加調査 2014年9月

大軍を率いて攻撃。

第四回 冬の陣 2014年12月

先日行った追加調査。

 葛生は意外と近いので、こうして何度も来られる訳ですね。次回号では、そんな意外と東京に近い葛生の町について紹介したいと思います。

 ちなみに、途中で出てきた露頭に見える断層は、こちらの赤い破線の通りです。どうでしたか?見えました?


 それでは、ごきげんよう。さようなら。

2015年1月8日木曜日

週刊葛生 創刊号

 みなさんこんばんは。修士1年のMです。

 年も明けたことですが、少し遡って昨年末に行った調査のお話をしたいと思います。昨年12月28日に、栃木県の葛生という場所で調査をして来ました。ここではそのときのお話を、、、とも思ったのですが、実はこの場所には何度か来ているので、今までのことも含めて紹介してしまおう!ということで、何回かに分けて葛生調査にまつわるいろいろなお話を書いていきたいと思います。

 葛生というのは、栃木県佐野市の南部とその周辺の地域のことを言っています。昔は葛生町という町が有りましたが、今は佐野市に合併されてしまいました。ちなみに佐野市には、こんな人がいます。




さのまるくん

【性別】 男
【生年月日】 2011年2月25日
【住所】 栃木県佐野市
【職業】 侍
【受賞歴】2013年ゆるキャラグランプリ







 葛生の主要産業は石灰岩採鉱です。今でもじゃんじゃん掘り続けています。

また、葛生の石灰岩にはフズリナがたくさん入っていることが有名です。町中には葛生化石館という博物館も有ります。そのせいか、この町の人は化石のことを良く知っています。調査帰りの格好でお土産を買っていると、

「化石取ってきたの?フズリナ?ウミユリ?」

と聞かれます。しかし、葛生の地質は石灰岩だけではありません。こんなものがあります。
チャートです。遠い昔、大海原の深い底に降り積もった蟲たちの殻が、固い岩石になったものです。なぜそんなものが日本の山奥にあるのか?それは「付加体」と調べればわかります。

 簡単に言うと、海底がプレート運動で日本の下に沈み込むときに、その上に乗っていたものの一部が沈み込まずにくっついているんです。だから「付加」体。お好み焼きを焼いたあとに、ヘラでこべりついたカスを剥がしてると、そいつらが今度はヘラにくっついてきますね。そういうことです。
 でもって、私はそんな昔の深海の底で溜まってできた岩石を調べに行っているのです。どれくらい昔かって?それは、またのお話にしましょう。石灰岩と違って、目で見える大きい化石はありませんが(眼力を高めれば見えるようになりますが)、地層の縞々がはっきり見える点では、ザ☆地学って感じのインパクトはありますね。
 写真の中のスケールが1メートルですが、この厚さのチャートが溜まるのに数十万年かかったんです。なにしろ、チャートの元になったプランクトンは放散虫と呼ばれる1ミリにも満たないちびども(↓こいつでだいたい0.5ミリ)ですから。

 これが何メートルも何十メートルも続く訳ですから、とても長い間、海底で同じ地層がリズミカルに作られて行く営みが続いていたんですね。

 しかし、実は海底でチャートが作られなかった時期もあるのです。そんな事件が起きていた時代のことを調べるために、私は一昨年の秋から何度かここに足を運んでいる訳です。

 今回はここら辺にして、次回には調査の様子でもお伝えしたいと思います。

 それでは、ごきげんよう、さようなら。