Lijiangでのつかの間の休日も終わり、調査は終盤に入った。Zheng教授の強い希望で、メコン河、サルウィーン河、紅河上流の採水と河川堆積物の試料採取を一気に行うため、Lijiangを南下し、Daliを経てBaoshanに向った。地図を見てもらえば一目瞭然なのだが、中国西南部には、アジアの大河川であるサルウィーン河、メコン河、揚子江の最上流が、わずか数十kmの間隔で並列して北北東から南南西方向に流れている。更に、揚子江の大屈曲の南東には、紅河の上流域が位置し、低い山一つを越えれば、紅河の集水域に入ってしまうのだ。実際、JinshajiangやYalongjiangなどの揚子江上流域は、今から数百万年前には、現在の揚子江の中、下流ではなく、紅河につながっていて、南シナ海に流れ込んでいた、と言う仮説が、多くの研究者達の支持を集めている。しかしながら、揚子江上流域が、元々、紅河とどの部分でどの様につながっており、それが、いつ、どの様にして絶たれたのか、また、四川盆地を経て東シナ海に流れるルートと、いつ、どの様にしてつながったのかはわかっていない。
私達の共通の友人である英国アバディーン大学のPeter Clift教授は、この仮説の信奉者で、この仮説を検証する為に、紅河河口沖合の南シナ海を掘削する計画を提唱し、その実現にむけて、ここ10年近く頑張っているし、中国における構造運動と気候変動の関係解明を一生の研究テーマと公言するZheng教授にとっても、この仮説の検証は、極めて重要な問題なのである。と言う訳で、揚子江に隣接する他の大河川の調査は、単なる採水と河川堆積物の試料採取の為の調査ではなく、揚子江上流域をめぐる河川争奪の歴史を紐解く手掛かりを探す予察的調査でもあったのである。
Lijiangを出た日の夕方にBaoshanに着いたが、Zheng教授は、いつになく慎重にホテルを選ぶ。今まで泊まっていた様な、三ツ星クラスのホテル(上級レベルのビジネスホテルや、やや古くなった老舗のホテル)をNikkiが見つけてもダメ出しをし、街で一番良い五つ星級のホテルにこだわった。おかげで、快適な一夜を過ごす事が出来たのだが、何故、そこまでこだわるのかと聞いたところ、この辺りはミャンマー国境に近い為、麻薬の密輸入に係わる犯罪も多いのだとの事、食事もいつもの様に外に出る事もなく、ホテル内の高級レストランで食べた。

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