2011年11月13日日曜日

雲南省長江上流域調査の旅 (その11)

雲南省南部を流れる紅河は、標高10002000m前後の比較的緩やかな山々の間を流れるが、河道は直線的で川幅も比較的狭い。V字谷的で、河原もあまり発達せず、どちらかと言えば、侵食場になっている。しかし、その両側の斜面の比較的高い所(恐らく河床から~50mを越える高さ)まで、礫岩を中心とした河川堆積物が、かなり連続的に分布している。礫岩は角礫~亜角礫を主体とし、淘汰が悪く、連続性の悪い泥質砂岩層を時々挟在して居る。河は断層沿いを流れている事から、河道は断層に規定され、断層活動に伴って侵食が進んでいったのではないかと想像される。礫種は多様だが、現在の紅河の河原の礫とは、組成が異なる様である。また、量的には少ないが、角礫の中に非常に良く円磨された花崗岩などの礫が含まれ、その礫種は、現在の紅河には見られないものの様である。
もし、これらの観察が正しければ、紅河は、地質学的過去(恐らくは、レッドリバー断層が活動した3500万年前以降)には、現在よりかなり大きな集水域を持って、流れていたのではないだろうか?Zheng博士も、間違いなくそう思って居るだろう。もしそうなら、我々は、初めて紅河がその過去において河川争奪を受けた直接的証拠を手にした事になる。この事を証明するにはどうしたら良いだろうか?先ずは、現在の紅河の堆積物と河岸斜面の比較的高い所に露出している古い時代の河川堆積物の供給源が異なり、古い堆積物の一部が揚子江上流域から運ばれた物である事を示す事である。それには、両者の礫種を比較して、古い河川堆積物に含まれていて、現在の堆積物には含まれていない礫種を特定し、それが現在の紅河集水域には分布せず、揚子江上流域に分布する物である事を証明すれば良い。石英のESR信号強度と結晶化度を用いて砂の供給源とその時代変化を調べる事も有効だろう。私たちの研究室は、この手法を砂やシルト粒子の供給源推定に適用して、成功を収めている世界で唯一の研究室である。
では、もし、古い河川堆積物の一部が揚子江上流域から供給された事が示せたら、次に何をすれば良いだろうか?次には、その供給が止まった時期(河川争奪が起こった時期)を特定する事が重要だろう。実は、恐らく、これが一番難しい。一般に、河川堆積物には、その年代を推定する手掛かりが余り無い。特に大陸の河川堆積物の場合、火山灰や溶岩流を挟在する事は稀なので、放射性元素を利用した年代測定はできない事が多い。また、海洋堆積物と違って、化石の種類の変化を利用した年代推定(化石層序と呼ばれる)も困難な場合が多い。それゆえ、陸成堆積物においては、多くの場合、地球の磁場の逆転の時代変化パターンの比較に基づく地層年代の推定法(古地磁気層序と呼ばれる)が最も有効な方法である。しかし、それを用いるには、長い期間連続的に堆積した地層を見つけ出す必要がある。そして、それには緻密な地質調査を行う必要がある。
もし、うまく堆積物の時代(特にその上限)が決まったとして、もう一つやるべき重要な事がある。元々、揚子江上流域と何処で繋がっていたのか、それがどの様にして切れたのか、(そして、揚子江下流といつ、どの様にしてつながったのか、)を明らかにすることである。私は、ベトナムとの国境の町、河口に移動中の車内で、iPadを使って衛星写真で紅河の上流域をたどった。元磨高速と紅河との交差点からすこし上流に上がった所で、北東から流入する大きな支流がある。その支流は、支流にしては幅広い河道をもって北東に伸び、昆明の西数十kmまで達している。そして、低い丘を越えると、その向こうは、揚子江の支流で、それは、50kmも経たずに揚子江の3つ目の大屈曲へと注ぐのである。そして、そこには、第三紀のものと思われる湖成堆積物が、現在の河床から300m以上の高さにまで堆積しているのである。
私の頭の中に、一つの仮説が浮かんだ。揚子江の中~上流は、この支流を通じて紅河に流れていたが、第三紀のある時期に、昆明の西で隆起が起こり、揚子江の中~上流域が切り離されたのではないだろうか。そして、揚子江の下流に繋がる河道が新たに切られるまで、一時的に湖が形成されたのではないだろうか?その4で述べた様に、湖成層の基底部に傾斜不整合が見られ、更には、湖堆積物の最下部にスランプが見られることも、湖の形成が傾動運動の開始と拘わっていた事を示唆している。車の中で妄想はどんどん拡大していった。(つづく)(多田)

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