“Latitudinal gradients in Greenhouse seawater d18O: Evidence from Eocene sirenian tooth enamel”
大気中のCO2濃度が1000ppm(IPCCの 2100年予測)を超える温室世界における水循環はどうなるのだろうか?その答えを求める方法の一つが、過去にそのアナロジーを求める方法である。今から5600~3400万年前にかけての始新世と呼ばれる時代は、大気中のCO2濃度が1000ppmを超え、両極には氷床が存在せず、全球平均気温が現在より12度近く高かった地球史の中で最も新しい温室世界の時代である。こうした遠い過去の時代の水循環は、どの様にしたら調べることが出来るのだろうか?その一つの方法として、緯度方向の海洋表層塩分の勾配を見る方法がある。
現在の海洋表層塩分は、大気の子午面循環の影響を受け、ハドレー循環の上昇部にあたる赤道域では、降水の影響を受けて低塩分の表層水が、下降部では乾燥した大気が地表に吹き付けるため、高塩分の表層水が発達する。そして、ハドレー循環が強まるほど、そのコントラストが増すことが期待される。過去の海洋表層塩分を復元する場合、表層水の酸素同位体比を利用することが多い。それは、降水の酸素同位体比は海水より軽く、一方、蒸発により表層水の塩分と酸素同位体比は上がるからである。しかし、表層水中に棲んでいた石灰質や燐灰質の化石の酸素同位体比を用いて表層水の古塩分を復元するには、同時にその時の水温を知る必要がある。これは必ずしも容易なことではない。
筆者らは、海牛類(哺乳類)の歯のエナメル質の酸素同位体比を用いることにより、巧妙に温度の影響を取り除き、始新世およびそれ以降の緯度方向の表層塩分プロファイルを復元した。すなわち、海牛類の体温が37℃でほぼ一定であることを利用したのである。(この手法は、実は1990年代に、日本の研究者により既に提案されていた。)その結果、特に熱帯収束帯(ITCZ)と亜熱帯高圧帯の間の表層塩分勾配が始新世においてはそれ以降より強く、低緯度域(<30度)がより湿潤な環境にあったことを示した。更に大気循環モデルを用いて、大気中のCO2濃度が800および3000ppmの条件下で、こうした状況が再現されることを確認した。
この研究結果は、温室世界における水循環がより強いハドレー循環とより湿潤な低緯度環境で特徴づけられることを示すものである。また、赤道域がより低塩分化するということは、酸素同位体比に基づいた温室世界におけるこれまでの表層水温推定が過大評価である可能性も示唆する。
(多田)